スポイチ編集長日誌

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”批判やめればそのうち大学はよくなりますよ”…プギャー

 ジム棟に魂を引かれ、自分たちの分の予算や利権さえ確保できれば、学生全体の権利など売り渡してもいいやと思っている、あるいは官僚のやることにはいっさい口をつぐむ一方で、”改革”による混乱を指摘したり批判する者を”お前は大学の評判を下げる気かッ!?”などと罵ることが”大学のため”なのだと信じ込んでいる人々は、残念だが確実にいる。
 実際、大いに「大学の評判を下げ」ることに貢献した例の”あり方答申”やら”改革”に対しては沈黙する一方で、それを批判したり、”改革”に起因して混乱する現場の声を伝える者に対してだけは非難をする。こういう論理的にも一貫しない論調が、じわじわと出始めているようだ。そのご都合主義的言動から導かれる論理的帰趨は、「いかにも官僚が言いそうなことだよな。」としか言いようがない。

 要するに、「”改革”主導者の視点からの言論」なのだな。うわぁ。

 もともと彼らは、”改革”に対する現役の教員からの批判に対しては”保身”だと悪罵し、辞めた教員からの批判には、”逃げた奴が今さら批判するのはおかしい”と非難する。と、もはや誰からの声であろうと、彼らにとって”改革”への批判は許せないのだろう。つまりは御意見無用っつーことで、ここには役人の無謬主義・絶対主義の伝染がよく表れているのでいいかなと思ってる。

 この間の”改革”の過程では、一貫して教員を無視・敵視し、その権利を奪うことに注力されていた。一方、学生は”説明会”というエクスキューズ以外は放置されていたのだが、昨年の後半辺りから”学生の声を”とか”学生中心”というかけ声が出始めた。なぜそんなかけ声が出てきたのかは、”改革”以来、教員との対立が続いていた空気を読めばわかる。教員と学生にセットで”改革”批判されるのが彼らにとって最悪のシナリオだからだ。その一方で、そういう空気を利用して利権のおこぼれに預かろうという連中が出てきても別に不思議はない。まったく、”あっち系”の連中はそういう嗅覚だけは発達してるよな。
 そこで二虎競食、駆虎呑狼(もともと教員や学生に虎とか狼ほどの発言力はあったのかというのは置いておいて)というのは、官僚や労組の伝統芸であった。その結果、一部の”学生”らが「大学の評判を落とすな」とふれてまわる。見事。
 だが、任期制や”就業規則”で教員が黙らされれば、次は確実に学生の番である。