自殺を防ぐのではなく、妨害するのだ。
「自殺を防ぐ」「自殺予防」というのはよく聞く言葉だが、別のアプローチもある。
>死なない限り生きられる
自殺をちょっとでも考えている人へのメンタルヘルス――タケルンバ卿日記
真面目モードの卿はかっこいいな…。
人がふと、「死んじゃおうかな…」という思い(自殺念慮・自殺思念)を抱くことは、それ自体はそんなに異常なことではない。
こないだの報道によると、日本の成人の約三割が「死にたいと思った経験がある」そうだが、個人的にはもっと多いのではないかとさえ思う。
問題は「死にたい」と思った人が、簡単に自殺を実行できてしまう環境がある場合だ。
鬱などで死にたいと思っている人の多くは、基本的に手の込んだことはやらないし、できない。めんどくさいし、無気力になってるから。
さらに、簡単には死ねないとあらかじめ分かっている方法(切腹など)も避ける傾向がある。
最近ある自殺方法が騒がれたのも、それが「簡単に、苦しまずに出来る(ということになっている)から」に他ならない。
だったら、簡単には自殺の実行にまでたどり着けないようにしてやればいい。
つまり、自殺の実行へと向かう人を邪魔し、妨害するのだ。
例を挙げる。
鉄道の新しい路線の駅にはたいてい「ホームドア」というのがある。
あれがあるだけで、そこのホームからの飛び込み自殺は劇的に減っているはずだ。
わざわざ高い壁を乗り越えてまで飛び込む人は、ゼロではないが、少ないからだ。
なぜ普通のホームでは飛び込みが発生するのか。
そこに邪魔するものが何も無いからだ。
ただふらふらとそのまま前へ進めばいいだけだから、工夫も一手間も要らない。
では、なぜ既存路線にはホームドアの設置がなかなか進まないのか。
鉄道会社の怠慢だとか、設置費用が運賃に跳ね返るからだとか、ホームでの飛び込みが踏切での飛び込みになるだけとか、理由は色々言えるだろう。
ホームドアの設置が進まない。あるいはすべての飛び込みポイントに、塀やフェンスを設けるのが無理であるというのなら、もっと別の、手っ取り早く出来る手段を考える。
つまり、走りだそうとした人の足をちょこんと引っかけて、自殺を邪魔してやるのだ。
その人はコケそうになって、「なにをするんだ!」などと怒り、食ってかかってくるだろう。だが、その時間、その人は、とりあえず生きている。
その時間は、とりあえずは死へ向かうという行為からは離れている。
それでいいじゃないか。
だが、「足を引っかけることは倫理に反する」などと非難する人間が訳知り顔で「がんばれ」と連呼していたり、あるいは「簡単な飛び込み方法」をわざわざ手広く紹介する連中のほうが声がでかかったりするという、おかしな状況もある。
もう一つ。
今の世では、
お金を他人から強引に奪い取ればもちろん犯罪になるし、たとえそのときお金を払った側が合意の上だったとしても、騙し取ったと認定されれば詐欺になる。
しかし、「他者の時間を奪い取る」ことは、いまのところ犯罪ではない。
それどころか、時間を奪い取られることについて、人々は驚くほど鈍感だ。
いや、時間の強奪や詐取について既に敏感に知覚している人は居るのだが、多くの人はいまだ時間を奪い取られることに鈍感なのだから、まして「時間を騙し取られる」ことについてはほとんど意識すらしていない。
だから、戦略的に確信犯的に時間を奪い取るのだ。自殺に使おうとしている、その時間を。
「どうでもいい情報やニセ情報をバラ撒いて、「簡単な方法」情報への接触を妨害する、または遅らせる」という手段には、そういう意図もあったわけだ。
「治療不可能な病は、かつては数ヶ月程度しか延命治療が出来なかったが、現代では医学の進歩により数十年単位で病気の進行を停止させることが出来るようになった」というのと似ている。
人はいつか必ず死ぬ。だが、病巣を「根治」することはできないとしても、その病気がその人の命を奪う前に、その人が天寿を迎えれば、その人は病気を克服したと言える。
同様に、自殺念慮・自殺思念というものを完全に消し去ることは難しいとしても、自殺を実行しないまま、先に肉体の寿命を迎えてしまえば、その人は「自殺念慮を克服した」、「自殺に打ち克った」と言えるのではないか。
>死なない限り生きられる
自殺をちょっとでも考えている人へのメンタルヘルス――タケルンバ卿日記
真面目モードの卿はかっこいいな…。
人がふと、「死んじゃおうかな…」という思い(自殺念慮・自殺思念)を抱くことは、それ自体はそんなに異常なことではない。
こないだの報道によると、日本の成人の約三割が「死にたいと思った経験がある」そうだが、個人的にはもっと多いのではないかとさえ思う。
問題は「死にたい」と思った人が、簡単に自殺を実行できてしまう環境がある場合だ。
鬱などで死にたいと思っている人の多くは、基本的に手の込んだことはやらないし、できない。めんどくさいし、無気力になってるから。
さらに、簡単には死ねないとあらかじめ分かっている方法(切腹など)も避ける傾向がある。
最近ある自殺方法が騒がれたのも、それが「簡単に、苦しまずに出来る(ということになっている)から」に他ならない。
だったら、簡単には自殺の実行にまでたどり着けないようにしてやればいい。
つまり、自殺の実行へと向かう人を邪魔し、妨害するのだ。
例を挙げる。
鉄道の新しい路線の駅にはたいてい「ホームドア」というのがある。
あれがあるだけで、そこのホームからの飛び込み自殺は劇的に減っているはずだ。
わざわざ高い壁を乗り越えてまで飛び込む人は、ゼロではないが、少ないからだ。
なぜ普通のホームでは飛び込みが発生するのか。
そこに邪魔するものが何も無いからだ。
ただふらふらとそのまま前へ進めばいいだけだから、工夫も一手間も要らない。
では、なぜ既存路線にはホームドアの設置がなかなか進まないのか。
鉄道会社の怠慢だとか、設置費用が運賃に跳ね返るからだとか、ホームでの飛び込みが踏切での飛び込みになるだけとか、理由は色々言えるだろう。
ホームドアの設置が進まない。あるいはすべての飛び込みポイントに、塀やフェンスを設けるのが無理であるというのなら、もっと別の、手っ取り早く出来る手段を考える。
つまり、走りだそうとした人の足をちょこんと引っかけて、自殺を邪魔してやるのだ。
その人はコケそうになって、「なにをするんだ!」などと怒り、食ってかかってくるだろう。だが、その時間、その人は、とりあえず生きている。
その時間は、とりあえずは死へ向かうという行為からは離れている。
それでいいじゃないか。
だが、「足を引っかけることは倫理に反する」などと非難する人間が訳知り顔で「がんばれ」と連呼していたり、あるいは「簡単な飛び込み方法」をわざわざ手広く紹介する連中のほうが声がでかかったりするという、おかしな状況もある。
もう一つ。
今の世では、
お金を他人から強引に奪い取ればもちろん犯罪になるし、たとえそのときお金を払った側が合意の上だったとしても、騙し取ったと認定されれば詐欺になる。
しかし、「他者の時間を奪い取る」ことは、いまのところ犯罪ではない。
それどころか、時間を奪い取られることについて、人々は驚くほど鈍感だ。
いや、時間の強奪や詐取について既に敏感に知覚している人は居るのだが、多くの人はいまだ時間を奪い取られることに鈍感なのだから、まして「時間を騙し取られる」ことについてはほとんど意識すらしていない。
だから、戦略的に確信犯的に時間を奪い取るのだ。自殺に使おうとしている、その時間を。
「どうでもいい情報やニセ情報をバラ撒いて、「簡単な方法」情報への接触を妨害する、または遅らせる」という手段には、そういう意図もあったわけだ。
「治療不可能な病は、かつては数ヶ月程度しか延命治療が出来なかったが、現代では医学の進歩により数十年単位で病気の進行を停止させることが出来るようになった」というのと似ている。
人はいつか必ず死ぬ。だが、病巣を「根治」することはできないとしても、その病気がその人の命を奪う前に、その人が天寿を迎えれば、その人は病気を克服したと言える。
同様に、自殺念慮・自殺思念というものを完全に消し去ることは難しいとしても、自殺を実行しないまま、先に肉体の寿命を迎えてしまえば、その人は「自殺念慮を克服した」、「自殺に打ち克った」と言えるのではないか。